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全てを論理的に説明する

日記

 レムのエッセイはとても刺激的だ。自分より明らかに頭のいい人の文章を読んでいると示唆的に感じて啓発されてしまう。

 

 ナボコフの小説『ロリータ』についての論がとてもおもしろかった。ぼくはこれまでにロリータを三回読もうとしていつも導入部で断念している。今回、レムの批評を読んで、ロリータの重要な点を理解し、次に読む小説はロリータにしようと思ったのだが、レムの論を読み終わったときにはもう『ロリータ』を読まなくてもいい気がしてきたのだ。それくらいレムの論はおもしろかった。

 

 レムの言葉は鋭い。それが正しいかどうかはともかくとして、彼の言葉はメスなのだ。彼が評しているのは「おもしろかったか、おもしろくなかったか」ではないし「どこがよかったか、どこがよくなかったか」でもない。「小説中のある要素全体に照らし合わせてなぜ必要だったのか、あるいは不必要だったのではないか」、「部分は全体と嚙み合うことでどのような効果を上げているのか」である。全ての要素がどのように貢献しあって、どのような「小説」を形成しているのか述べる流れはまさに本物の読書感想文だと言えよう。

 

 ぼくは数か月前、生まれて初めて腰を据えて小説を書いてみたのだけれど、そのときようやく気付いたのだ。計画の最初から、どれほど細かい要素をも疎かにせずきっちりと意識してくみ上げるべきだったのだ、と。それからさらにいくつかの小説を書きあげ、その過程で試行錯誤してきたがまだまだ未熟であり、課題は山積している。しかしレムの言葉はぼくを元気づける。

 小説を書くときにそんな窮屈な作業は必要ないよ、例えば売れっ子作家の西尾維新の小説の書き方を見てごらんよ、と言いたくなる人がいるかもしれない。ぼくは以前の日記でも言っているけれど西尾維新が好きであり、彼については一通りググっているから彼がどのような書き方をしているかは知っている。しかしそれはそれである。ぼくの尊敬している売れっ子作家がそのような書き方をしているからと言ってぼくもそのような書き方をしなければならないなんてことはない。むしろだからこそ、ぼくは違う書き方をしたいのだ。ぼくは西尾維新を尊敬しているが彼の真似をするつもりはないし彼になりたいわけでもない。

 ぼくはレムや彼のような人々に習いたい。そのときの気分やノリで書くのはまっぴらごめんだ。推敲は死ぬほどする。不必要であればボツにする。せっかく書いたのだからこの部分は活かそう、なんて思ったら終わりだと肝に銘じている。

 なぜそうするとか言えば、たぶんこっちの方が遠くまで行ける気がするからだ。