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日々のメニューを変える

日記

 今年の目標として、ナボコフの文学講義を原書で、それの取り上げている本も原書で読もうとしていたのだけれど、さっそくすっかり心が折れていた。

 いつもそうなのだけれど目標がむやみに高すぎて勝手に挫折して無為に過ごすということが多すぎる。内心で言い訳を量産しながら。自分のそういうところは本当にクソだ。

 流石に30もすぎればそんな自分への対処法はわかっている。

 目標を下げた。毎日20ページ読むつもりのところを2ページ読むところからはじめることにした。余裕で達成できるところまで下げる。これが必要。でも一週間たつごとに日課の量を1ページ追加していく。筋トレと一緒。それでも計算によれば九週間で最初の一冊のマンスフィールド荘園が読み終わる。ペースが上がっていれば次の一冊である荒涼館も二か月程度で終わる。三冊目はボヴァリー夫人だけれど、正直英語よりもフランス語の方が得意なのでフランス語での読書についてはそんなに危惧していない。そのままジキル博士とハイド氏、審判、スワン家の方へ、そして最後のユリシーズ、さらにテキストの各該当部分を年内に読み終えられたら万々歳だ。

 ドイツ語の勉強だけは音読を習慣づけられたので、たぶんカフカの審判にいたるあたり(予定だと半年後くらいだ)までにはドイツ語の基礎が身についているはずだ。

 

 

 実は同時にキーボード(楽器)の練習も今年の目標にしていたのだけれどこちらも心が折れて放り出していたので、同様に目標を下げて再開することにする。

 

 

 

 まったく、変に高い目標っていうのは考え物だ。

 少し年を取ってわかった。実際、本当に大切なのは少しずつでもいいから毎日やることなのだ。もちろん、ただこなすのではなく課題を明確にしてそこを克服していく、といった思考は大切だけれど、考えすぎて心が折れて何もしなくなってしまうのならそれは無意味だ。少しずつでもいいから続けることが一番大事。一日十分でも二十分でも。続けることが負荷でなくなればそのうち自然と考えて工夫しはじめるものだし。

 そしてそれより大事なのは、一度諦めてもそのまま諦めきってしまわないことだ。それが自分にとって本当に大切だと分かっているのなら、心が折れたことなど忘れたふりをしてまた再開することだ。そうして何度も折れながら、何度でも再開し続けていくことだ。

 

 

 

 ちなみに心が折れてからしばらくはニコ生でlolの配信をずっと見ていた。lolはやったことがないのだけれど、気に入った配信者を見つけてずっと見ていたら試合運びやその人が使っているキャラクターの特徴やその人のうまさが見えてきて中々おもしろかった。

 

 

 

 

 あと、実は家から車で五分の近所に図書館ができたのだけれど、子供向けの本が多いと聞いて勝手にたかをくくり、全く足を運んでいなかった。それが今日インターネットで調べてみたところ、ボラーニョの翻訳がすべてそろっていた。ぱねぇ。あと白水社のエクスリブリスもすべてそろっていた。ぱねぇ。今日から通う。というか、はやめにムッシューパンを入荷してほしい。

 

 

 

 

 

 それともう一つ。

 十二月に出した小説はダメだったみたいだ。座談会をやって受賞作を選ぶ例の出版社の賞(大きな会社ではなくてその子会社の方)に出したのだけれど。例年から考えてもうこの時期には選考は終わっているはずで、少しでも見込みのある人には連絡がいくようであるから、何も連絡のなかった自分はダメだったということ。

 で、問題は次をどうするかだ。

 実はその小説を書くときに見つけたテーマをもうちょっと書いてみたいと思っていて、テーマが同じながら、設定をゼロ年代的な現代伝奇からパオロ・バチガルピ風のディストピアSFに代えてもっとテーマを映えさせた(つもりの)構想がある。

 それを書くのがよいか。あるいはテーマごと捨て去って全く新しいものを書いた方がいいのか。次の締め切り群は四月頭にある。そこまでには一つでかしたいから、もう迷っている時間はいくらもないのだけれど。