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はじめて宮本常一の文章を読んだときはその綺麗さに驚いた

日記

 一年くらい小説を書かなくてもいいかもしれないと思った。

 というのも、とりあえず今年の基礎補完計画はやれば必ず効果があることは請け合いであり、その研究結果を十全に消化してから次のものを書いた方が身になるのではないかと思えたからだ。別に急ぐ必要はない。すぐにでも作家デビューしなければ命が危ない、とかいうわけではないのだ。もし仮に運悪くcjdを発症して死んだとしてもそれはそれだ。もちろん自分には人並みの虚栄心もある。しかし虚栄心のために生きているわけではない。

 現在、マンスフィールド荘園についてただ原書を読むだけでなく、構造と伏線などについてノートを取りながらやっていて、五章くらいまでノートをとり終わったところなのだけれどすでに結構勉強になっている。小説を構成している細部についても調べていて、ポーツマスだとかワイト島だとか、アンティギュア諸島だとかの位置をグーグルマップで調べながら読むとそれはそれで中々おもしろい。イギリスの王位継承者についても言及があったから調べたけれど予想外にもたくさん人がいてすぐに調べるのを諦めた。

 こうしたことを七冊に対して行い、あとでナボコフの答え合わせを参照すれば必ずや読みの力が養われ、相乗して書く力も上がるだろう。だからこの一年はこの作業に時間をつぎ込んでもいいのではないかと思う。

 もちろん、全く書かないわけではない。構想はいくらも育てているし、少しずつは書き継いでいく。でも何かを仕上げるのはこの一年が終わってからでもいい気がする。

 

 

 また、前回応募した作品を少し反省してみた。それは腰を据えて書いたことは書いたのだけれど、言うなれば、自分の脳みその中だけで書いた小説だった。もっともそれは書きはじめたとき自分に課した制約であったから(なにも調べず頭の中にあるファンタジーだけでどんなものが作れるか、というのが課題だった)今更それに悪態をついても仕方ないのだが、今読み直すとやはりその制約こそがこの小説の限界であり短所なのだなとつくづく思わされた。今読んでいる『民のいない神』のような自由な小説を読んでいるとますますそう思う。

 そして、書いているときは全く頭になかったのだが、改めて読み直すと妙に『鋼の錬金術師』に似ていて、しかもずっと劣っている。改稿する前のものを見るとワンピースの要素も多分に入っていた。もちろんぼくはそれらを真似して書いたわけではない。しかしつまり、何が言いたいのかというと、自分の頭の中だけで小説を書いてもろくなことはないということだ。いっそ『鋼の錬金術師』を参照しながら、それをどれだけ踏襲しつつ新味を出すか見分して書いた方がまだマシだったのではないかとすら思える。

 

 

 とりあえず次の小説の資料にしようと思って図書館から本を借りてきた。

『この世界が消えた後の科学文明の作り方』ルイス・ダートネル

『古典を失った大学』藤本夕衣

『山と日本人』宮本常一

『川の道』宮本常一

 まずはこれらを種に参考文献を広げていきたい。

 

 

 また、タイトルに意味はない。日記だとタイトルに困るから、困ったら適当につけようと思う。